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<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>

 昭和60年に入居が始まったころから、春日園が発展してきた様子を目の当たりにしてきた、山根さん、鈴木さん、杉本さんにお話をうかがうことができました。

 入居が始まったころの春日園は、道路は整備されていたものの電柱はなく、街路灯もなかったことから、夜は真っ暗になったということです。その道路も今のような一方通行になっていなかったようです。春日園の住宅地のまわりの土手は樹木が伐採されており、登ってまわりを見わたすと景色が大変良かったと言います。落合公園の花火もよく見えたそうです。タヌキやキジなどの動物も見かけたし、ワラビもよくとれたそうてす。また、家がほとんどなかったために、鈴木きんの家の居間からも春日圜の入り口まで見通せたと言います。

 そして、ゴミ収集車に来てもらう手続きなどの必要性のために、自分たちで春日園の自治会をつくったそうです(ゴミステー シンは造成当時からすでにあったそうです)。自治会の会合は、当初、初代自治会長の山根さんの家のリビングでいていたそうです。そしてしばらく個人の家でもちまわりで会合を開いており、今から振り返ると、親睦会のようだったということです。そのうちに住宅が増えてくるど、個人の家で会合ができない ということから、春日井市からの補助に自分たちでお金を出し合い、現在の集会場を建てたそうです。

 お店については、当時、工イラクヤは営業していましたかが、 ナフコはまだなく、坂下商店街に出かけて行ったそうです。ゴミステーションの近くにスペースはあったようですが、とうとう春日園のなかに店がでさることはなかったため、住む人たらにとって当時から自動車は必要でした。また、坂が急なたの、雪の日はみなさん大変だったようてす。

 春日園は、今では造成前にあったような災害はなく、とても往みやすい住宅地になっています。

【入居が始まった頃の春日園】

春日園から北側をながめている写真です。

 

【住宅建築の様子】

杉本さん宅の建築風景。

白井等は給水塔です。

まわりには住宅がほとんどありません。